2017年11月19日

文藝春秋 2018年の論点100

年の瀬と言うには早すぎるのだが、
決まってこの時期になると年の瀬
を認識する一種のルーティンの様
に繰り返す癖がある。
   



たわいのないものばかしだがスタ

バのクリスマスブレンド購入が始
まりで、次に文藝春秋の「日本の

論点
」→現在は改題され長くなっ
た「文藝春秋オピニオン 201X年

の論点100
」が続く。。
 


IMG_2576.JPG
   


この本、文藝春秋から11月に発売
される年刊誌。1994年から継続購
入していたのだが、2010年中国に
転じて購入が途絶えた。販売時期
の年末年始に国内に居なかったの
がその理由だ。


日本の論点_22.jpg
日本の論点_11.jpg



帰国した一昨年末には本屋を当た
ってみると、大前研一の日本の論
点とか日本経済新聞社の日本の論
点が見つかったが、本家本元の文
藝春秋版は見つからなかった。だ
から、てっきり20年近く続いた文
藝春秋版は廃刊になり、有名ブラ
ンド”日本の論点”を他社が引き取
り、新たな2世代目日本の論点が
始まったものと勘違いしていた。


しかし、ある時ひょんなことで文
藝春秋版に再会した。この本を特
徴づけていた分厚さと赤と黒の背
表紙が青地表紙のスリム版に姿を
変え、タイトルも「日本の論点」
から「文藝春秋オピニオン 201x
年の論点」に変わっていた。何か
あったのだろうか?2013年版から
変わったようだ。タイトルや装丁
が以前に比べてどこか遠慮気味に
感じる。


IMG_2585.jpg

IMG_2581.JPG




そんなことで、毎年立冬を過ぎた
頃に本屋に並ぶ「日本の論点:文
藝春秋オピニオンの201X年の論点
100」の購入&積読 を続けている。



IMG_2571.JPG    




昨晩、最寄の本屋で買った「2018
年の論点100
」版は、表紙の色が
水色からピンクに変わっているが、
なぜピンクなのかその理由が分か
らない。ピンク色は進出色・温暖
色・柔軟色・軽量色といったイメ
ージ効果を持ち、柔らかい優しい
印象は、心や体に満ち足りた気分
をもたらしてくれる色とされる。
 
    


来る年がそんな年であれば良いが。

...(閑話)




■関連情報
 ▼日本の論点(Wikipedia)
 ▼文藝春秋オピニオン 2018年の論点100(文藝春秋公式サイト)
 ▼出てきた『日本の論点』(My Blog)


  
  
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2017年11月16日

安倍仲麻呂・渡唐1300年記念

先日、
「歴史の駅シンポジウム」
安倍仲麻呂・遣唐使
〜日本と中国のかけはし〜
を聞きに行ってきました。
   

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今年は、日中国交正常化45周年、
安倍仲麻呂・渡唐1300年記念。
日常ではあまり目に付きませんが
民間レベルでは地道な両国友好促
進が続いているようにも思います。
    
 
天の原ふりさけ見れば春日なる 
    三笠の山に出でし月かも

      
結局、帰国することができず中国
に骨を埋めた仲麻呂ですが玄宗や
楊貴妃、さらに李白、王維らとも
交わった中国での生活を日中両国
の学者2名の基調講演と作家・夢
枕獏氏を交えた鼎談を通じて興味
深く聞かせていただきました。


IMG_2358.JPG

  

後半は、文化とスポーツの交流と
して、日中の古琵琶、石笛、古筝、
二胡、武術太極拳などの演舞をと
てもめずらしく鑑賞しました。


IMG_2362.JPG
    

  

そういえば、  


二年前に冬の角館に行った折、雪
をかき分けた道脇のお菓子屋さん
の店名が『唐土庵(もろこし)』
と書かれているのを見て、雪深い
東北の一隅にまで『唐土』が根付
いていることに驚いたものでした。


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IMG_0465.JPG



そんな『唐土』の話をしていると
北京大学の院で日本語を勉強して
いる学生から「源氏物語を中心と
した平安時代の物語の中に如何に
唐土文化が根付いているか」を逆
分析して書いた書籍「唐土」が送
られてきた。その書籍「唐土」が
つい先月、今年度の孙平化日本学
学术奖励基金の金賞を受賞したよ
うです。


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昨日の私にとっての最大の成果は、
同じ遣唐使でも最も興味がある「
空海」が『さらば、我が愛/覇王別
姫』などで知られる中国の有名監
督・陳凱歌メガホンで映画化され、
来年2月末にロードショウ公開さ
れるということでした。


IMG_20171105_0002.jpg
    

  
空海が現在の中国において映画テ
ーマとして成立するのだろうか?
知っている人などいないのでは?
あるいは情報規制の犠牲になるの
では?などなどと興味深い。映画
「空海」については公式サイトを
リンクするので参照してください。
…(閑話)




■関連情報
 ▼映画「空海-KU KAI-」(公式サイト)
 ▼NPO法人 歴史の駅(公式サイト)


  
  
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2017年10月29日

塩野七生・日本人へ W

台風による雨は非情にも二度まで
も多摩川の花火大会を中止にした。
台風が直撃した夏の大会を二ヶ月
も順延し心待ちした調布市初めと
する関係者の気持ちは如何許りか。



それはさておき、



IMG_2113.JPG 昨夕は雨の中を最寄りの本屋まで足を運んだ甲斐があった。塩野七生の「日本人へ W」と佐伯泰英の「空也十番勝負:恨み残さじ」を見て即購入。素晴らしい贈物を得た。この二人の作家には現役時代の通勤読書でことのほかお世話になった。塩野氏の「ローマ人の物語」と佐伯氏の時代小説「密命」は発売が待ち遠しく感じられたものだった。そんな両作家も年齢は80前後にさしかかっているのではないかと思うが、従来通りの執筆を続けられているのが慶ばしい。



 ところで、昨晩買ったばかしでまだ読み終えていないのだが、ここでは塩野七生の「日本人へ W:逆襲される文明」について少し触れてみる。この「日本人へ」はこれまで4巻発行されている。また、これらのシリーズの始まる前の2008年10月に「ローマから日本が見える」が発行されている。


【日本人へ】
(1)国家と歴史:2010年5月
(2)リーダー篇:2010年6月
(3)危機からの脱出篇:2013年10月
(4)逆襲される文明:2017年10月


ローマから日本が見えるB1 日本人へ_2 日本人へ_1.jpg IMG_20171029_0004.jpg



 塩野氏がライフワークの「ローマ人の物語」を執筆する中で、遠くイタリアから日本を望み、氏の探求テーマであるローマに照らした日本社会への演繹的な叱咤激励は、2008年頃から始まったものと思われる。とは言え、さすがの塩野氏をしても最初は「ローマから日本が見える」と控えめであったのが、どうにもならぬ日本政情の体たらくぶりを見て「日本人へ」に変わって行ったのではないだろうか。


 発刊時期については、おそらく出版社と頃合いを見計らっているのだろうが、日本の政情が混迷すると発行をぶつけてくるように思われる。「ローマから日本が見える」が発刊された2008年は、福田首相が内閣を総辞職した年であり、2010年の「日本へ T」は、自民党から民主党に政権が移行した頃である。更に2013年は、再び政権が自民党に戻った頃だ。そして今回である。



 まだ一部拾い読みした程度なので、感想的なものを書く前に内容の構成をということで、目次を引用させていただく。


目次

-T-
・国産できた半世紀
・イタリアの悲劇
・帰国してみて
・なぜ、ドイツはイタリアに勝てないのか
・ユーモアの効用
・三十代首相はイタリアを救えるか
・プーチンXオバマ
・政治とおカネの不思議な関係
・ヨーロッパ人のホンネ
・ある出版人の死
・女たちへ
・この夏を忘れさせてくれた一冊の本
・朝日新聞叩きを超えて
・日本人の意外なユーモア
・中国に行ってきた
・脱・樹を見て森を見ず、の勧め

-U-
・一神教と多神教
・ローマに向けて進軍中
・テロという戦争への対策
・地中海が大変なことになっている
・イイ子主義と一般人の想い
・悲喜劇のEU
・なぜ、ドイツ人は嫌われるのか
・イタリアの若き首相
・残暑の憂鬱
・今必要とされるのは、英語力より柔軟力
・イスラム世界との対話は可能か
・一多神教徒のつぶやき
・消費税も頭の使いよう
・誰にでもできる「おもてなし」
・考え方しだいで容易にできる「おもてなし」
・四国を日本のフロリダに

-V-
・「保育園落ちた日本死ね」を知って
・EU政治指導者たちの能力を問う
・ローマ帝国も絶望した「難問」
・両陛下のために、皇族と国民ができること
・「会社人間」から「コンビニ人間」へ?
・著者のこだわり
・帰国中に考えたことのいくつか
・若き改革者の挫折
・トランプを聞きながら
・負けないための「知恵」
・背景、橋田壽賀子様
・がんばり過ぎる女たちへ
・見ているだけで美しい
・ドイツ統一の真の功労者
・政治の仕事は危機の克服



PS.塩野氏のエッセイの醍醐味は、相手が誰であれ全く物怖じしない語り口ではないかと思う。ローマを極める過程で、人間が執り行う政治(広く営み全般)はローマに全てあると悟ったのではないだろうか。だから、ローマから現代に演繹した確信に満ちた格調高い説法は、独特なローマ色をして読者に心地よく響くのではなかろうか。読者は塩野教の信者かもしれない。(閑話)




■関連情報
 ▼塩野七生・ローマから日本が見える(My Blog 2008/10/13)
 ▼塩野七生・日本人へ リーダー篇(My Blog 2010/6/5)
 ▼佐伯泰英・空也十番勝負 読後感(My Blog 2017/2/2)
 ▼佐伯泰英・空也十番勝負 青春編(My Blog 2017/1/14)


  
  
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2017年10月26日

井川香四郎・別子太平記 読後感

今晩は!
騒いだ割にはあっけなく駆け抜けた台風。
この台風の長雨を利用して読みかけてい
た故郷の物語「別子太平記」を読終えた。


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ついでのことに、柄でもなく感想文を書
こうと思ったが、ネットで見つけた雨宮
由希夫氏の書評が素晴らしいので軟弱に
も早々と諦め引用することに切り替えた。
雨宮氏は歴史時代作家クラブ賞の選考委
員なども務められている書評家のようだ。




 (序)物語を始めるにあたり、新居(新居浜)は秀吉の長曽我部討伐の最前線として登場する。秀吉側大軍に対し金子城を拠点に新居を守るは秀吉が最も恐れた武将・金子肥後守元宅。しかし、多勢に無勢。落城滅亡は時間の問題。討ち死に覚悟の総攻撃を前に肥後守は3人の若武者に滅びゆく家門と故郷の再興を託して生き延びさせる。この際、兜の家紋・三蜻蛉紋を三つに割り各自に持たせる。少し里見八犬伝を連想するが、この三人(or後裔)が物語の進展と共に「家門と新居の再興」に関わり登場してくるのであろう。これが一章である。



別子銅山_2.jpg いうまでもなく、別子銅山は愛媛県宇摩郡別子山村から新居浜市にかけて存在した日本の代表的銅山である。本作は3部10章の構成で、戦国末期、元禄、そして幕末明治の3時代をクローズアップして別子銅山の「通史」を描いた歴史小説である。




IMG_9799.JPG 物語の舞台は故郷。まさにそこに生まれ育った訳だが、体系的に銅山の歴史文化を学ぶことなどなくて、その知識は見事なまでの点・点・点。この連続性のない点群を紡いだ歴史小説として別子銅山の通史を誕生させたことに意義があると思う。誰にも増して市政80周年を迎えた新居浜市の人々への贈り物だと思う。...(閑話)




関連情報
 ▼書評『別子太平記 愛媛新居浜 別子銅山物語』(歴史時代作家クラブ公式ブログ)
 ▼新居浜市の概要(Weblio辞書)
 ▼マイントピア別子(Wikipedia)
 ▼別子銅山記念館公式サイト
 ▼あかがねミュージアム公式サイト
 


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2017年10月15日

白酒「清照」と李清照

先日、鈴鹿から帰ってくると机上
に見慣れぬ青い瓶が置いてあった。
清照』と銘が打たれた青い瓶は
中国の山東百脉泉酒业の白酒の様。

IMG_1769.jpg



山東省に「清照」とくれば中国宋
時代の女流詩人「李清照」のこと
で、中国人の間では「清照」と呼
ばれ今でも人気の女流詩人である。
李清照(li qīng zhào)

IMG_1770.jpg



それにしても、
今・なぜ・ここに?である。
 
  
答えは簡単だった。2年前に中国
に遊びに来た次男がお土産に買っ
て帰った白酒がクローゼットの隅
で眠っていたようだ。突然目を覚
まされ行き場がない『清照』は私
の机上に登場したわけだ??


日本人で「李清照」を知っている
人など居ないのではないかと思う。
中国人の留学生でもどうだろうか?

psb-2.jpeg


私がそもそも「李清照」を知った
のは、赴任先の済南でようやく市
内の本屋に足を運び出す余裕が出
来てきた頃。なぜか清照の本が多
いことに疑問をもったことによる。

psb-3.jpeg


すべて一つ一つ後からわかってく
ることだが、「李清照」は済南
まれであり、今も地元で愛される
詩人なのだ。市内の名勝趵突泉の
中には記念館があり、齊魯の文化
を代表する12人の歴史的人物を
顕彰した泉城広場の歴史人物長廊
の一人でもある。

20101113_21.JPG



中国語ができる訳でもなかったが、
初めて住む中国の済南という都市
にゆかりの女流詩人ということと、
酒と涙がきってもきりはなせない
波乱に富んだ人生というものに興
味を持ち、分からないまま少し追
いかけてみたことがあった。

李清照_詩集.jpg



そんな李清照が突然、机上に来臨
されたのだから大歓迎しなくては。
ということで、ここでは歴史人物
長廊で撮った写真を添えて彼女の
紹介文を載せることにしよう。


やがて、秋深まり頃合いのよい頃
に中国からの若い留学生から「
清照
」の話を聞きながら白酒を一
緒に飲むのがいいかもですね。...(閑話)



▪️李清照

李清照_1.JPG 李清照(1084年〜1151年頃)は、両宋(北宋?9?9南宋期)の戦乱時代の著名な女流詞人で 、現代でも通ずる繊細な感情の動きと口語も使った自然で親しみやすい作風とが相俟った、中国人の間では、極めて人気がある詞人である。

 李清照、号して易安居士。易安室と署名するときもある。これは陶淵明の『歸去來兮辭』の「引壺觴以自酌,眄庭柯以怡顏;倚南窗以寄傲,審容膝之易安。園日渉以成趣,門雖設而常關。策扶老以流憩,時矯首而遐觀。」からきている。彼女はこのことから、ただ単に隠遁を言いたいのではなく、実は「酒壺を手許に置き、自ら酌して、」悲しみを消し、「庭の木の枝を眺めてはくつろぎ」「窓に寄り添って気儘にたのしみ」「膝を入れる(坐れる)だけの(狭い)所でも(我が家として、くつろぎ)安んじ易いことがはっきりとわかった」という、自らは働きかけられなくなったという情勢の変化に伴い、受け身に回らざるを得ない無念さを「易安」の言葉とは裏腹に訴えたいのであろう。「審容膝之易安」は、言うなれば、不遇に安んずるという、悲痛な言葉でもある。

 彼女は名門の出ではあるが、その号からも分かるとおり、時代の激浪に揉まれた多難な人生を送った。その時代が彼女を磨き、その詞は女后として、婉約詞派の両宋時の巨人であるばかりでなく、中国での最高の女流文学者の一といわれている。

作風は、彼女の人生の時期によって大きく異なる。
一つの区分は、
1.前期の●京での新婚時代
2.中期の建康在住時
3.後期の靖康之変のために江南へ避難し、その地で夫を失うという、祖父の地も家庭も亡くした流浪の日々の時代。
となろうが、各時期で大きく変わり、境遇と心境の変化に伴い、変遷を遂げている。

その区分は、或いは、次のようにもできる。
1.前期の少女-新婚時代(徽宗大觀元年まで。二十四歳まで)
2.中期の靖康之変後、夫が死ぬまで(高宗建炎三年まで。四十六歳まで)
3.後期の流浪の日々の時代(七十三歳頃)
とするのもある。

 人生のエポックをどう見るかによって変わってこよう。年若い頃の羞じらい、新婚後の幸福感、間もなくの別居時の不安、靖康之変?9?9夫の死去による混乱、流浪の人生の嘆きと諦め…と、その時代その時代に多様な作風を展開している。いずれにしても、時代と運命に翻弄された中で、鮮やかに才能を華開かせている。

 婉約詞派とはいわれているが、『花間集』などで見られるような華麗さや優雅さはなく、特に後期では、生活の中に美しさ、哀しさ、はかなさを見いだして、それに対して揺れ動く心を歌い上げている。また、北宋が滅ぶという事態にも直面し、蘇軾 辛棄疾に負けない豪放詞も作っている。

 彼女の人生を思うに、その辛さ、哀しさは、余りあろう。詞を見れば、どの作品にも、「酒」が、「涙」が出てくる。酒がなくては過ごせなかったのだろう。時代と境遇の激変に、個人の力では如何ともし難い、その想いが、詞のことばの中から強く訴えてきている。大変な時代を生き抜いた女性である。


李清照についての記述は錠豊長氏の「詩詞世界(錠豊長の詩詞)李C照詞」を引用させていただきました。



■関連情報
 ▼詩詞世界(錠豊長の詩詞)李C照詞(詩詞世界(錠豊長の詩詞))
 ▼詩詞世界(錠豊長の詩詞)(詩詞世界(錠豊長の詩詞))
 ▼泉城広場の歴史人物長廊(My Blog)

  
  
  
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2017年09月17日

平遥(その3:漱石と平遥)

日常を離れた異国の旅は不思議な興奮と熱情を喚起する。
古を湛えた平遙古城はそんな旅情を掻き立てて余りある。
されど、時間は止まることを知らず真夏の平遙を訪ねて
早くも二ヶ月。平遙は名のごとく「遙」になりつつある。
   
   
ところで、  
   
平遥(中国)と日本を結ぶ見えない糸。
     
その2では「法然と平遥」の関係を書いてみた。
その3では「漱石と平遥」について書いてみる。
    
    
夏目漱石の由来_2.jpgまず写真を見ていただきたい。

日中、二人の「漱石」である。
角ばり長方形をした顔立ちに、
濃い真っ直ぐな眉毛と口ひげ、
通った鼻筋といいよく似てる。
  
左が中国の「漱石」で、右が日本の「漱石」だ。
    
今さらだが、日本で「漱石」と言えば、
日本を代表する文豪・夏目漱石であり、
中国では平遥人の文学家・孙楚を言う。

孙楚(そんそ:220年〜293年)
夏目漱石(1867年〜1916年)
   
二人が生きた時代には、凡そ1600年の隔たりがある。
しかし、二人には次のような時空を超えた繋がりがある。
     
枕石漱流→(孙楚)→ 漱石枕流 →→→(正岡子規)→ 漱石 →(夏目金之助)→ (夏目漱石
   
    
平遥_33.jpg 頑固者「漱石」という語のオリジナリティは、
故事「漱石枕流 」の主である西晋時代の平遥人
で文学家・孙楚にあり、夏目漱石は1600年
後に、それを正岡子規経由で雅号に借用したと
いうことになる。
   
 
   
このことは日本側からネットで「漱石」の名前の由来を調べれば、最上流の「枕石漱流」まで繋がっていることがすぐ分かる。しかし、孙楚が平遥の人であったことにはほとんど言及されていない。
    
   
おそらく、あの平遥の薄暗い古民家の壁に掛けられた写真の孙楚は、日本を代表する文豪が「漱石」を使ったことを喜びながら「私は平遥人であることをお忘れなく」と無言のうちに語りかけていたのだろう。(oдO)
   
        
真夏の平遥の狂想エントリー。((((^_^;)
灼熱の夏・真夏の平遥が遠ざかる。
...(駄話・閑話)
   
   
▪️平遥3部作?
 ▼平遥(その1:平遥古城)
 ▼平遥(その2:法然と平遥)(My Blog)




PS.
《晋书》孙楚传:孙楚太原中都(今山西平遥西北)人。史称其“才藻卓绝,爽迈不群”,多所陵傲,故缺乡曲之誉。楚少欲隐居,谓王济道:“吾欲漱石、枕流。”济笑道:“流非可枕;石非可漱。”楚道:“枕流欲洗其耳;漱石欲厉其齿。”年四十余,始以著作郎参镇东军事。
      
(选自南朝・宋・刘义庆《世说新语・排调》):孙子荆年少时欲隐,语王武子"当枕石漱流",误曰"漱石枕流"。王曰:"流可枕,石可漱乎?"孙曰:"所以枕流,欲洗其耳;所以漱石,欲砺其齿。"



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2017年08月25日

ホンダF1にジェット技術適用か

IMG_0276.jpg過去の栄光を夢見て2015年にF1復帰をしたホンダ。しかし、現実は甘くなかった。復帰後、優勝どころか上位にすら食い込めない惨憺たる状況(*下記リンク参照)が続いている。


 ▪️混迷するホンダF1(My Blog 忙中閑話)
   ▼さらば、ホンダF1 (2009/5/9)
   ▼どうした、ホンダF1 (2017/3/11)
   ▼どうしたホンダF1、頑張れホンダ (2017/5/5)


3年目を迎えた今年もチーム成績は最下位に低迷していたが、ようやく、ここに来て明るいニュースが出てきた。さる7月28日〜30日に行われたハンガリーGPで初めて6位と10位にダブル入賞を果たした。


新しく投入した「スペック3」という新エンジンが苦しんできたパフォーマンスと信頼性を向上させ、ようやく戦えるところまで復調してきたと言うのである。信頼できる情報であってほしいものだ。


そんな中、YouTubeに「ホンダ、F1にジェットエンジン最終兵器投入、巻き返しなるか」というニュースがアップされている。信憑性が今ひとつ定かでないが、一つの情報としてリンクしておく。


▪️ホンダ、F1にジェットエンジン最終兵器投入!巻き返しなるか!(YouTube)

▪️同・書き起こし

2015年の参戦以来、
悪いニュース続きのホンダF1だが
初めて明るいニュースが入ってきた!
終盤に向け、大きく進化が期待できそうだ。

それは何故か。
ホンダジェットの技術ノウハウを
投入するようなのだ。
ご存知の通りホンダジェットに
搭載されるエンジンは
ホンダ技術研究所の和光で
設計&開発されている。

ホンダ技術研究所の要職が
ホンダF1の低迷を受け
「ここまで来たら総力戦。
持てる技術を全て使おう。
ところでジェットエンジンの技術は
流用できないのか?」と考えたらしい。

一般的にピストンが上下する内燃機関と
タービンエンジンは別モノと思われている。
だからこそ今まで関与してこなかった。

逆に言えば、そこまで
追い込まれているということだろう。
という経緯でジェットエンジンの
開発チームにF1パワーユニットの情報や
図面を見せたところ「ええっ?」
と驚いたそうな。

詳細は不明ながら精度の管理が
ジェットエンジンと全く違うらしい。
ジェットエンジンの方が精密ということである。

ジェットエンジンの技術との
大きな違いは「信頼性」だという。
ご存知の通りホンダF1が
開幕以来苦労しているのが振動である。

1気筒でテストしている時は
発生しなかった細かい振動が出て
様々な部品を壊しているため、
設計通りの出力も出せていない。
今シーズン前半は振動に明け暮れた。

振動が出る原因は様々。
最も解りやすいのがタイヤ。
スタティック(静的)でバランスを取っても
意味ないため、回転させてバランスをとる。

されど100回転程度で
バランスがとれていても、
200回転させたら必ず振動が出てしまう。
そいつをどこまで追求していくか、
ということ。
もちろんF1は市販車など比較にならない。

これがジェットエンジン基準より
甘かったようだ。
こうなると現在使っている計測機器の
精度を超えてしまう。
バランスの計り方から
考えなければならない。

航空機産業は全ての部品が
自動車と桁違いの精度で作られている。
主翼の構造部材など
アルミの板から削り出す。

例えば主翼が28mあれば、
28m以上のアルミ板から
削らなければならない。
継ぎ足しなど不可。

自動車の生産技術担当が見たら、
信じられないことをやっているのだった。

エンジンも同じ。
ジェットエンジンに要求される精度は
F1エンジン以上なのだという。
考えてみたらB777で使われる
『PW4000』など2m85cmもあるファンが
高回転しているのに全く振動なし。

はたまたクリアランスや
Gに対する”タフさ”だって大きく影響する。
航空機エンジンの使用環境は
レーシングエンジンよりはるかに過酷。

外気温プラス35度の地上から飛び立ち、
全開状態のまま60秒後に
マイナス50度の空気を吸い込まされる。
そしてF1の横Gをはるかに超える
9Gに耐えなければ壊れてしまう。

高回転物体が9倍の重さになって
シャフトに掛かり、ジャイロ効果だって出る。
循環する液体類も
9G〜マイナス1Gに耐えなければダメなのだ。

ここまででも「全く違う」ということが
理解できると思う。
実際、乗用車エンジンを
飛行機に搭載して飛ばすと、
相当念入りに対策していても
あっという間に壊れれるそうな。

だからこそ乗用車エンジンベースの
船用エンジンこそあれど、
航空機エンジンなど存在していない。

パワーユニットを検証すると
「自動車の技術の最高レベルではあるけれど、
航空機レベルに遠い」
ということだったようだ。

どの時点でホンダジェットの技術を
パワーユニットに使っているか
という時期は不明ながら、
ハンガリーGPの後の
ハンガリーテストは絶好調だった。

早ければベルギーGPから
「スペック4」と呼ばれている
パワーユニットを投入すると
言われているけれど、
これは間違いなくホンダジェットの
コンセプトを投入している。

開幕以来悩まされてきた振動が
大幅に減少し、設計通りのパワーを
出せるようになってきた模様。
終盤に向け、
さらなるパワーアップも見えてきた?

8月27日に開催されるベルギーGPに
「スペック4」が投入され、壊れずに健闘したなら、
ドンドン良くなっていくと考えていいだろう。

ホンダのF1プロジェクト
総責任者である長谷川祐介は先月
テストベンチとコース上のデータの
相関関係がとれずに苦戦していたことを
明かしていた。

しかし今は、テストベンチでの結果に
頼る度合いを低くしたと語る、
「開発に関する方法を変更しました」

そう長谷川は
motorsport.comに対して語った。
「我々はシリンダーひとつの
(テストベンチでの)開発に、
あまり頼らないようにしました」

「シリンダーひとつによるテストで、
我々は多くのことを
チェックすることができます。
しかし、最終的なスペックを決定する上で、
V6に組んだ状態でチェックする
必要があることを理解しました」

「シリンダー単体での結果には、
もはやあまり頼りすぎてはいけません。
このテストは引き続き重要ではありますが、
性能を確認するためには、
V6での結果を確認する必要があるんです」

ホンダは、
MGU-Hにも多くの問題を抱え、
数々のトラブルに直面している。

しかしシルバーストーンで
信頼性に改善を加えた後については、
この問題を解決することが
できたのではないかと
長谷川は感じているという。

「MGU-Hのトラブルは、
解決するのに非常に時間がかかりました。」
そう長谷川は語る。

「エンジンにはたくさんの
小さな問題がありました。
その領域は、テストベンチでは
理解するのが非常に難しいのです」

「我々はMGU-Hの問題を
解決しようとしています。
それはただ、コース上で
確認しなければならないことです」

「しかし、(すでに)投入した
MGU-Hには、問題解決のための
ソリューションが含まれています。
なので、もう大丈夫だと信じています」

世界出荷台数1位と好調なホンダジェット。
そのジェットエンジンが、
ホンダF1の復活を後押しできるのか。
今後もホンダから目が離されませんね。
活躍を期待せずにはいられない。


<ネットの反応>

工作精度が上がっただけでパワーが上がると?
せいぜい壊れにくくなるだけやろう。

そもそもホンダのジェットエンジンは、
ホンダの技術者がまともに設計できずに
結局GEの技術者に頼って
完成させたと何かで読んだが。

ホンダだけでも作ったんだけど、
安全とかノウハウとか考えたら
GEと共同開発した方のエンジンで
売ることにしたんだと
生産管理や精度のノウハウは
GEから教えてもらったものだろう。
つまり自社技術でもなんでもない。
メルセデスに教えてもらうのとなんら変わりがない。

GEと組んだのはアメリカの認可が
複雑すぎてそのノウハウのためで
設計や組み立てはホンダ本体ですよ

これで壊れまくったら、
ホンダジェットまで変な目で
見られちゃうぞ!

MGU-Hの故障は少なくなるだろうな
どうなるか見てみよう

工作精度なんて、本来HONDAが
最も得意とするところじゃないか。
精度のケタが1ケタ違うというし、
航空機レベルなんて余裕だお

ホンダの優秀な人材が
ジェットエンジン開発に
配置されたというから、
そういう先輩方から見れば
今のサクラの連中の設計は
甘いってことじゃないかな。

これはどこまで信用していい話なんだ。

2015年からここで
ホンダジェットの技術参考にしろとか
言ってる人いたよね
素人の適当な話が
パワーアップと信頼性確保の
カギだったとは驚き
ここで適当な事言ってた人たちすごいじゃん

ところでスペック3になって
明らかに音が変わったよね
スペック2「までは高回転域で回っている時は
どちらかというとメルセデスや
フェラーリよりちょっと低いくらいの
高温だったけどスペック3になってからは
ルノーに近い低い音になってる

ジェットエンジンの技術とかは
どうでもいいネタで、
この記事から読み取れるのは
部品の精度が甘々だったって事だな
F1から離れていたからこれくらいって
思っていたのが恐らくは
ライバルとはかけ離れていたんじゃないかな

日本の設計者は
toleranceスタディができない。
欧米では専任者がいるので
レベルが段違いだ。

測定方法を知らずに公差を定義し、
「どうやって計測するんだ」
と聞かれて泡を吹く方も多い。

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ホンダのF1プロジェクト総責任者の話は
あまりにも凡庸すぎる。
これがレースのホンダ、F1のホンダを
統括する責任者の言葉だろうか?



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posted by 不惑永遠 at 00:57| 東京 ☀| Comment(0) | 自動車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

平遥(その2:平遥と法然)

日常を離れた異国の旅は不思議な興奮と熱情を喚起する。
古を湛えた平遙古城はそんな旅情を掻き立てて余りある。
しかし、時間は止まることを知らず真夏の平遙はその名
のごとく刻一刻「遙」になりつつある。



平遥_30.jpg平遥_1.jpg平遥_5.jpg



ところで、下手な書き出しはさておき、平遙と法然の縁を書いてみよう。
   
   
法然は、日本浄土真宗の開祖である。解脱に至る道を求めて25年間ひたすら修行をした仏教界の天才僧侶だ。彼は五千巻余りもある「一切経」を五度読破し、内外を問わずあらゆる宗派の理論と歴史を研鑽した。しかし、それほどまでに学問しても解脱に到る道はおろか、父を殺した明石定明への憎しみにしばしば身を焦がしました。そして、救いを求める貧しい人々のことを思うと、自分のような者にできることは、何も無いと絶望にさいなまれるのでした。
   
  
そんな中でようやく見つけた解脱への光明は、六百年前に著された唐の善導大師の『観経疏』でした。天才が修行を通して自分を凡夫とみなし、自力を捨て他力本願に救いを極めた過程は見るべきものがあります。一方、善導大師は「称名念仏」を中心とする浄土思想を確立した中国の僧侶で、中国浄土五祖の第三祖です。法然の修行は善導大師に行き着き、中国浄土宗を極める上で第一祖の曇鸞(どんらん)に行き着いたであろうことは想像に難くないと思います。その開祖・曇鸞が実は平遙の遙山寺に住んでいたのですね。
   
   
ここで時空を超えた法然と平遙の結びつきが生まれます。
(かなり無理筋ではありますが)...(`m^)
  
  
日本仏教界を代表する二人の天才僧侶空海と法然。長安に渡り時の密教阿闍梨・恵果から直接に得度を得た空海。25年にわたる修行の中であらゆる経典を読破し六百年前の『観経疏』によって解脱の道を極めた法然。時代もプロセスもことなるが、二人の天才が想像絶する修行の先に見出したものは古の中国に花開いていた豊かな仏教文化なのですね。
    
    
空海と長安・洛陽の結びつき。法然と平遙の結びつき。
浅くても、真夏の情熱大陸の旅に歴史の糸を絡めてみるのも一興なのだ。
夏が行き、真夏の平遙が遙になって行く。
...(駄話・閑話)

   
    
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2017年06月15日

ルマン優勝なるかトヨタの挑戦

今年もルマン24時間耐久レ
ース
があと三日に迫ってきた。
 
ご存知の方も多いと思うが、
昨年の幕切れは優勝を狙った
トヨタにとって余りにも残酷
な幕切れとなった。サルトサ
ーキットにいた誰もがトヨタ
の優勝を確信したレース終了
3分前に突然 ”No Power” の
悲痛な無線連絡を残しコース
上に止まった5号車。。。
 

du Mans_20016.jpg


二位を走っていたポルシェが
無情にもその横を駆け抜けて
行く。ハイブリッドでの優勝
を狙い2013年に再度ルマンに
復帰したトヨタの悲願がする
りとこぼれ落ちた瞬間だった。
   

余りにも劇的な幕切れにトヨ
タの社長は直後に関係者全員
への労いと次回を期す旨のメ
ッセージを出し、一方、勝利
が転がり込んだポルシェは喜
びを抑えトヨタの健闘に対し
Gained our respect forever.
LEMANS24
”を贈った。
  
 
レースの見所が全て凝縮され
た昨年のレースは84回の開催
を誇るルマン屈指の名勝負に
なったと言われる。
  
  
そして、1年。
 
  
負け嫌い”を合言葉に万全の
準備を積んできたトヨタ。勝
てば1991年にロータリーエン
ジンで総合優勝を果したマツ
ダ以来の日本勢優勝となる。

ルマン_トヨタ-6.jpg

ハイブリッドでルマンを目指
すと宣言した2008年から苦節
10年である。


ルマン_トヨタ-2.jpg
ルマン_トヨタ-3.jpg
ルマン_トヨタ-5.jpg
ルマン_トヨタ-4.jpg
ルマン_トヨタ-1.jpg
 (2017ルマン予選)
  
 
それにしても、最高の技術の
結晶と言ってもよいロータリ
ーエンジンとハイブリッドエ
ンジンをしてルマン85回の
うち2回だけ優勝とは如何に
も技術の日本らしい。(閑話)
    ↑
(希望的フライイングです^_^)
   


▪️関連情報
 ▼GR TOYOTA GAZOO Racing(公式サイト)
 ▼ハイブリッドでルマンを目指す(My Blog)




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達磨50% 忙中閑話。。 閑話。。。 
posted by 不惑永遠 at 23:02| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自動車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

深大寺と芭蕉と西施

一段と緑が増した深大寺


IMG_7902.JPG

IMG_7903.JPG

  

一昨日は金曜日だったが深大寺一帯を散策する人
で溢れていた。突然聞こえる大声がどうにも理解
できない外国語であったりして、静寂の森ににも
多様化の波が押し寄せているようだ。


IMG_7720.JPG

   
     
ところで、

     
深大寺の境内には15余りの句碑が立っているそ
うだが、その所在はほとんど知られていなようだ。
私も本堂脇の高浜虚子の句碑はよく知っているが
その実、それ以外の存在は知らない。
   

一昨日は、普段通らない裏道沿いで、そんな句碑
の一つと思わしき「西施を詠んだ芭蕉の句碑」に
出会わした。
   

通りすがりに何気なく見た限りでは何物か分から
ない。足を止めて注視すると芭蕉の「」の字と
西施」だけが何とか読み取れる。しかし、特に
人目を惹くものでもなく「芭蕉と西施がなぜ深大
寺に?
」と一瞬の疑問が湧かなければ、それでお
終いだったろう。
  
IMG_7870.JPG

句碑:『象潟や阿免尓西施が合歓能花』(芭蕉)
『象潟や雨に西施がねむの花』
  
  
調布図書館によれば、その由来はかくの如し。。
近年、秋田県象潟港で,延命地蔵の線刻された大
石が,発見されました。慈恵大師と判明し,大師
ゆかりの寺ということで,この深大寺に贈られて
きました。寺ではすぐに小祠を建てお祀しました。
発見された場所が象潟でしたので,象潟といえば
すぐ思い起こされるこの句が,小祠への誘い役と
して小祠への入口に建てられたものです。
  

注@象潟:芭蕉が訪れた頃はまだ地震による隆起
がなく「江の縦横、一里ばかり、おもかげ松島に
かよひて、また異なり。松島は、わらふがごとく、
象潟はうらむがごとし。さびしさに、かなしびを
くわえて、地勢、魂をなやますに似たり。」と奥
の細道に記している。
A芭蕉象潟と言えば『象潟や雨に西施がねむの花』
B慈恵大師:天台宗中興の祖。慈恵大師を祀る全
国の主な寺院11寺に深大寺が含まれる。
C深大寺:天台宗別格本山。天平5年(733年)〜現在
(2,017年)、深大寺だるま市は日本三大だるま市の
一つ。隣接する植物園は元寺領地。
  

[深大寺と芭蕉と西施]
西施(中国4大美人・傾城・沈魚美人:BC5C末)
中国古代四大美女_西施_1.jpg

芭蕉(寛永21年(1644年)〜元禄7年(1694年)

芭蕉奥の細道・象潟の句(元禄2年6月(1689年)
『象潟や 雨に西施が ねむの花』
『象潟や阿免尓西施が合歓能花』←(句碑)

新潟県象潟港で延命地蔵発見(近年)
その地蔵が慈恵大師由来と判明

新潟県より深大寺へ寄進

深大寺では小祠を建てお祀り

芭蕉象潟の句碑
その際、小祠への誘い役として、小祠への入口に
象潟に因んだ芭蕉の句を句碑として建てた。
(結びつけは象潟・慈恵大師で芭蕉句は後付け)

芭蕉句碑を発見(2017年6月9日)



西施の深大寺伝来を遡れば、悠久2,500年の歳月
が流れている。芭蕉が雨に濡れた象潟の合歓の花
に西施の憂い顔を偲ぶもまたおもしろい。。。
(閑話)
   
  
IMG_7726.JPG

IMG_7879.JPG

春惜しむ 深大寺そば 一すすり(皆吉爽雨)




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posted by 不惑永遠 at 22:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする