2009年05月23日

今更だが裁判員制度って何?

今朝は珍しく4時半に目が覚めた
微睡みに再び入りこもうとするも
正直な体は早く寝入った時間だけ
もういいよと暗に命じている様な
しからばと朝刊をとりコーヒーを
入れてついでにTVとPCをつけて
新聞を開けてみる。。。



山寺焼予平衞釜_1.jpg



そうなんですね、今日21日が裁判員制度がスタートする非難ですね。。

一面トップは、新型インフルエンザの関東圏への波及記事。
その横に『裁判員制度の施行』の記事が載っている。

解説記事の見出しを拾ってみると、
曰く、『裁判員制きょう施行 国民主役の司法へ』
日弁連『社会常識の反映狙う』
最高裁『法廷の活性化目指す』
検察『被害者の声で前向きに』


本来、国民が求めた制度ならば、もっと喜ばしい歓迎の声が湧き上がってもよいのではないか? いずこも、アーあれね!とは言うが他人事のよう。関心が無い。薄い。喚起されない。腑に落ちない。。


これまで、誠実につつましく暮らしていた普通の人が裁判員になったとすると、《毎日法廷に端座させられてえんえんと公判につき合わされ、トラウマになりそうな証拠写真を見せられ、どこの誰とも知らない人と不愉快な議論をさせられ、この被告人を死刑台か刑務所に送るべきかどうかおまえの意見を言えと迫られ、そしてここで知ったことは一生誰にも話してはならない。もし話したら罰金か懲役だ》という義務を課せられることになるそうだ。


おいおい勘弁してくれよ
ただ興味で応じる話でもなかろう
それとも責任回避になるのかな?


そもそも税金から多額の報酬を出して裁判官を雇用しているのは、何の備えも無ければ、それ相応の訓練の一つも受けてない普通の人が突如、人様を裁くなんて無茶を避けるためではないのか? またそれは、人の運命を裁くという極めて厳粛な行為であるが故に、何事にも揺らがない客観性や論理的な思考能力や豊富な判例知識など身につけた高い専門性が求められる仕事ではないのか?


素人が裁判員として参加することによって、ほんとうに誤審や冤罪が減るのだろうか?


ところで、先週
たまたま古い西部劇映画ケビン・コスナー主演の『ワイアットアープ』を観たが、、

現役保安官&ガンマンを引退したアープが愛するジョージーと船でアラスカへ向っている最後の場面。。一人の若者が「あなたはアープさんではないか?」と尋ね、自分の父を群衆の縛り首要求から救った保安官事務所前でのアープと群衆の対決を父親から聞いた話として再現する下りがある。

ワイアットアープ_3.jpg両手に銃をかざしたアープは群衆に向って『それだけの銃があれば俺を殺すことは簡単だろう。しかし12人は死んでもらう。お前とお前とお前は必ず。。勇気があるなら俺と一緒にあの世に行こう』と言うのですね。名指された民衆は後ずさりして一人一人、次には全員その場を去って一件落着となる。

ワイアットアープ_2.jpgアープが守ったのは酒場のトランプゲームの諍いから相手を殺した荒くれ者の被疑者であり裁きに任せることなんですね。一時の集団心理に動かされた群衆は一人一人をとれば誠実で善良な家庭をもつ市民なのだ。銃が力をもった西部開拓無法者時代と比べるのもなんだが、民衆の本質なんてものは今も昔もあまり変りがないのでは?という気もする。その米国の陪審制は「被告が無実を主張した事件が対象となり市民が参画する」ことになっているそうだ。


模擬裁判の結果から量刑の基本的な決め方をガイドラインとして裁判員に提示してスタートせざるをえない状況は、そもそも準備不足を意味し、時期尚早を表しているのではないか。否、一般市民に論理的で客観的な判断など求めても成立するわけがないということを示しているのではないだろうか? やるなら、量刑に係らない参審制で裁判員制度の出来具合を観察しながら改善継続か廃止か様子見の期間を設けても手遅れなんてことはないだろう?


読売新聞朝刊の解説記事『基礎からわかる裁判員制度』を読むと、司法改革制度の議論が始まった時、国民の裁判参加はあくまで『付け足し』の課題であり、世論が高まっていた訳ではないと言う。声をあげていたのは産業界でしかも民事裁判の迅速化だったそうだ。それが、いつのまにか国で取り組むプロジェクトになり、更に「官から民へ」の流れの中で「国民自らが司法を支える時代」となり、刺身のツマがいつのまにか主菜になり04年5月裁判員法が成立したというのが経緯で、どう読んでも全て中途半端でいいかげんと言っている。

多数の識者が指摘する、あるいは模擬裁判でも顕在化した様々な問題について慎重な議論の上に刑事裁判のどこがどうよくなるのか、この制度がこの国の既存の法体系に調和するのか、市民の司法参画はどのような形態がよりよいのか、といったことをもっと分かりよく明確にした上で本格施行してもよいのではないか?
また、市民の参加は社会や生活の安定があってのことだろう。百年に一度と言われる世界経済不況下で派遣切りに代表される労働問題や様々な社会不安が生じている現下において、無作為抽出の国民に被告人の運命を委ねるのが、時期的にも本当に適切なのだろうか?

いくら極悪人でもガイドラインをみながら死刑を宣告されては死ぬに死ねないのではないか?


まー、それもこれも『失われた15年』の間に国の骨格が大きく変えられてきたことに何の関心もよせず、ひたすら仕事人間を演じてきた小生のようなぐーたらおやじひとりひとりの責に帰す話なのかもしれない。。(閑話 m(>д<・.)m 閑話)


■関連情報
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 ▼トリンプ「裁判員制度ブラ」このてんびんは何を量るのやら?

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達磨50% 忙中閑話。。 閑話。。。
posted by あすなろ at 12:55| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政経 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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