2017年06月08日

武士の一分と官僚の一分

最近、
某前事務次官の
発言がマスコミ
を賑わし初めて
からずっと気に
なっている映画
がある。
  

武士の一分_4.jpg 10年くらい前に見た山田洋次監督・木村拓哉主演の映画『武士の一分』である。この映画は藤沢周平の時代小説「隠し剣秋風抄」に収録された「盲目剣谺返し」を原作とする山田洋次監督による『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』に続く時代劇三部作の完結作である。木村拓哉が主演したこともあり記録的な大ヒットとなった作品である。
   
 
あらすじを手短に書くとこんな感じである。
   
 
武士の一分_1.jpg 東北小藩のお毒見役を任じていた下級武士の主人公(木村拓哉)は、不慮の事故が元で盲目になる。この不幸につけ込み美人で評判の高い主人公の妻を欺き騙し凌辱する上司。事の成り行きを知った主人公は最愛の妻を即時離婚し、上司への復讐に立ち上がる。相手は江戸修行の免許皆伝。己は盲目。戦う前に勝負は見えているようなものだが、それでも剣術の稽古に精を出し、盲目になって失っていた己の感覚を研ぎ澄ませた上で、『武士の一 分』を持って上司に決闘を挑む。「死ぬことを覚悟でこそ生きる術がある=必死」の死地で得た一瞬の間で勝った主人公だが、片手を失った瀕死の相手にトドメを刺さない。ある意味で不条理に包まれ清貧を生きる下級武士の復讐劇であり、崩壊した家庭も修復されるハッピーエンドな物語と言えなくもない。
    
    

山田洋次監督はこの映画に三人の武士の「一分」を描いている。
    
一人は、主人公。
二人目は、妻を凌辱した上司。
三人目は、お毒見役の責任者である。
   
主人公は、死を覚悟して決闘に臨み己の一分を全うした。
決闘の相手は、後日、残った右手で自刃し己の一分を守った。
お毒見役の上司は、自らの切腹を通して職務の責任をとった。
    
   
藤沢周平の原作では、仇は一刀両断に絶命しているが、山田洋次監督は自省の機会を与えた後に、自らの切腹を通して人としての一分を守らせている。
侍が命をかけて守らなければならない名誉や面目
三人それぞれの『武士の一分』である。
   
   
さて、ここで問題だが、山田洋次監督が世に問うたものは何であったか?
武士の時代がはるか遠くなった現代に、腹を切って責任を取れと言っているのではなかろう。それは、すこし横に置いておいて、、
   
 

コカコーラ広告_侍2.jpg この人物の言動を一つ一つ見ていると、真に潔さのない人間だと思わずにはいられない。事務方の最高位まで上り詰めた人間がこのような振る舞いをするようでは日本も救いがないのかもしれない。人生には勝ちもあれば負けもある。勝ち続けてきた人間が最高位に登った最後の戦いに負けたのである。仮に不条理の中での負けとしても負けは負けだ。『官僚の一分』というものがあるとすれば、どう身を処せばよかったのか。そは三人の『武士の一分』に答えが出ているであろう。
   

それが正解であるかどうかは、かすかに武士のDNAが残っている平凡な日本人の心に膾炙するか否かである。
   

 一部には正義の味方・勇気ある世直し官僚との評判もあるが、この方は「義経千本桜」にもなれなければ、ましてや「赤穂浪士の討ち入り」にもなれないだろう。機密漏洩違反に問われないよう弁護士と予め周到に相談しながら、一部の身びいきマスコミに評判を書き立ててもらう、ただの三文役者にすぎない。ロッキード事件の「蜂の一刺し」も思い出す。
    
   
 はやくご家族のもとに戻られて静かに余生を送られるが良い。3ヶ月のボランティアなんて、この方の退職金の何分の一ももらえないサラーリーマンが退職後、志高くもくもくと奉仕するのに比べれば屁のようなものだ。自己を捨てて十年慎み、自省極めてもういちど考えてみるのがよいのではないか。その時、映画以上の『官僚の一分』があるなら見せてほしい。(駄話・閑話)



■関連情報
 ▼武士の一分(Wikipedia)
 ▼映画「武士の一分」 論(佐藤弘弥)



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達磨50% 忙中閑話。。 閑話。。。
posted by 不惑永遠 at 00:11| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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